上田市のコワーキングスペース「HanaLab」さんで開催されたセミナーに参加してきました。
第3回「ソーシャルな働き方講座」育て上げネット理事長 工藤啓氏
セミナーのタイトルは「ソーシャルな働き方講座」で、全6回の講座。
毎回NPO法人の理事長をお呼びし、その事業内容や成り立ち、資金調達など幅広く講演いただいています。
同講座は今回が3回目。
NPO法人育て上げネット理事長 工藤 啓氏の講演です。
工藤さんはかなりのビジネスマン?
お話を聞いていて思ったのは、この工藤さん、すごいビジネスマンだなぁ!ということです。
マーケティングやビジネスモデルなど、とても論理的にまとまっていました。
聞いていて納得感が高い。
そしてNPO法人らしく、社会的な問題に対する見方が鋭く、ハッとすることがいくつかありました。
「若者の支援」という考え方がない日本
これまで全く意識してませんでした。
でも、それが事実のようです。
それは、日本には「若者に対する支援をする」という考え方がほとんどないということです。
「自己責任」の一言で片付けられることが多いということです。
ある老人の場合
例えば、87歳のおばあちゃんがお家に1人で住んでいて、人知れず亡くなっていたとします。
最近よく聞く「孤独死」というやつですね。
ご家族が訪問したり、大家さんが訪れたり、郵便屋さんが見つけたりと、何らかの形で発見されると・・・
新聞の見出しに、
「都内の老人、また孤独死!」
みたいな感じで載るかもしれません。
すると、そんなことがまた起こったということに対して、
- 行政は何をやっているんだ
- 孤独死を防ぐ施策を
- 家族が面倒を見なくては
などという形で、色々と「孤独死」という問題に対して向き合い、対策が練られます。
実際、色々な対策がありますよね。
Googleで「孤独死 対策」と検索すると約67万件ヒットしました。
ある若者の場合
では、それが23歳の男性だったらどうでしょう?
23歳男性が、実家の自室で突然死していたとします。
しばらく出張で家を開けていた両親が帰ってきて、それを発見します。
例えば死因はノロウィルスの感染だったりして。
体調が悪くなっても病院に行くお金が無くて、苦しんだ挙句、家で死んでいたのです。
彼にお金がないのは、仕事についてないから。
彼は高校を卒業してからは大学にも行かず、ずっと家に引きこもって過ごしていたのです。
老人は保護しろ、若者は自己責任
この2つの例についてはどう感じますか?
「自宅でひっそりと亡くなっていた」という点は同じです。
だから、お年寄りの方の「孤独死」と同じように、若者のこともちゃんと対策を考えて、行政や地域社会が取り組む必要がありますよね?
というと、だいたいの日本人は「そうは思わない」そうです。
- 高校を卒業してから引きこもっていたのが悪い
- ちゃんと仕事についていないのが悪い
- いい年した男が両親のすねかじりなんて・・・
といった感想を持つのが普通だそうです。
端的にいうと「自業自得よね」ということ。
挙句の果て、「近頃の若者は・・・」なんて苦言を呈する人もいることでしょう。
つまり、老人に何かが起こると「助けなければいけない」と思い、若者に何かが起こると「そいつの責任」だと思っちゃうのです。
ちなみに、「近頃の若者は」という若者をお年寄りが揶揄する表現は平安時代くらいにはすでにあったそうです。
若者がすることがなんとなく気に食わないという感覚は、日本人のDNAに刻み込まれているのかもしれません。
個人に問題を押し付けると、それ以上問題が進まなくなる
仕事もしないで家に引きこもっている「ニート」にはいいイメージを持っていますか?
- 仕事をする気がないなんて・・・
- それで何かあっても、本人の問題よね
- そういう生き方もあるだろうけど、面倒は見きれない
- 仕事をしないでお金がないのは、当たり前でしょう
などといったことを思っていませんか?
15歳〜39歳の若者は3,700万人いて、内20人に1人は仕事についてないそうです。
185万人ですね。
そのうち3人に1人は家にパソコンもインターネットもないし、運転免許も持ってないそうです。
そういう人はだいたい大学にも行ってない。
61万人くらいがそういう状況ということです。
もちろん、15〜20歳といった層も含まれているので、運転免許がなかったり大学に行ってないで当たり前の人たちも含まれています。
が、問題はここです。
- 家にインターネットがない
- パソコンもない
- 大学に行ってない
- 運転免許を持っていない
家にインターネットがないしパソコンもないし大学に行ってないということは、WordやExcelなんてサッパリわからないと思っていいでしょう。
さらに地方で運転免許がないのは致命的です。
この状態で雇ってくれる会社がどのくらいあるでしょうか?
それって、その人だけの問題?
例えば、ある若者 (24歳、自宅引きこもり)が、
- 家にインターネットがない
- パソコンもない
- 大学に行ってない
- 運転免許を持っていない
という状況に対して、あなたはどう感じますか?
やっぱり、「そんなの自己責任でしょう」と思いますか?
全部自分ひとりではできなかったよね?
ここで考えていただきたい。
もしあなたが、
- 家にインターネットがある
- パソコンがある
- 大学を卒業している
- 運転免許を持っている
として・・・どうやってその環境を整えました?
お金はどうやりくりしました?
全部、中学生や高校生のころから自分で稼いで、自分で出して、生活してきました?
たいていは、親が出しているのではないでしょうか。
将来返すという約束をしたり、また奨学金を借りたりしたかもしれませんが・・・
つまり、自分ひとりの力では、これらの条件が揃えられないということです。
私も大学に行けたのは親がお金を出してくれたから。
その上で自分なりにバイトしたりしてお金を稼ぎながらパソコン技能を身につけたり、運転免許を取得しました。
もし親がそれだけのことを全くしてくれなかったとしたら、就職できてなかったでしょうね。
でも、100人いたら、1〜2人はこういうものが手に入らない状況にあるのです。
そういう人を、「本人の問題だから」というのはいくらなんでも殺生な感じがしませんか?
本人にとっては、何をどうしようもなくて、そうなっているのかもしれませんよ?
そんな人が、日本にはざっくり50万人はいるのです。
生活保護すると6,000万円の税金投入、就職させると5,000万円の納税
ちなみに、その50万人を生活保護で救うために、1人あたり6,000万円以上の税金が投入されるそうです。
もしその人が就職できれば、5,000万円は納税してくれるようになるという試算があります。
つまり、たとえ4,500万円をその人に投資しても500万円は税金が増えるわけです。
でも、「本人の問題だから」と放っておいたら、6,000万円以上の税金がただ消えていくのです。
「本人の問題だから」と切り捨てず、就職できるようにしてあげられれば、最大で1億円の利益を得られるわけです。
どうすることが、今の日本にとって利益があるでしょうか?
個人に問題を押し付けるのではなく、仕掛けや仕組みがないことについて考える
このような問題を、個人に押し付けるのではなく、仕掛けや仕組みがないことが問題と考えられると、また違ったアイデアがでてきます。
お年寄りに関しては、自然とそういう考え方をしているんですけどね。
どうやってそういう若者に、世間並みの教育や環境を届けてあげるか。
ざっくり200万人いる若い失業者や無業者を、どう有業者にしていくか。
その仕組や仕掛けをどう実現していけばいいか。
そういう風に考えるところから、事業は生まれます。
個人に問題を押し付けても問題は解決しない
それは「若者の問題は本人の自己責任」という暗黙の了解の中では決して解決しません。
個人に問題を押し付けても、何も解決しないのです。
そして、この「若者の問題は本人の自己責任」という暗黙の了解のようなものは、いくらでも転がっています。
そこに気づいて、アクションを起こし、事業化していく。
ビジネスに関する原点に立ち戻れた感じがしました。
こういう社会問題的なことを考える時間はなかなかとってないですが、聞いていて色々思うことがある講演でした。
実に興味深い内容だったし、NPO法人だろうが株式会社だろうが、問題を発見して解決していくプロセスは同じなんですよね。
私も何か、できるようになろう。