ネガティブコメント (通称: ネガコメ)による騒ぎは後を絶たないですね。
ブログ記事や、Twitterのツイートなどに対して否定的なメッセージを送っているのを見ると、気持ちがいいものではないです・・・(-“-;
中では炎上と呼ばれる状況にまでなったりして、収集がつかないことも。
ネガコメは発言者の本性を表している
そんなネガコメの是非については私は特に何とも言いませんが、それが発言者の本性だということは確実に言えます。
社会や境遇に対する鬱憤やいらだちなどは誰しも少なからず持っているもの。
個人的な好き嫌いなんてのは当然あります。
そういう負の感情を、相手に対して面向かっては言えないようなことを、インターネット上で、誰の発言かバレないという安心感の元に、噴き出しているわけですね。
面向かって言えないことが、匿名性の高いネットでは言えちゃう
「私はあなたのことが嫌いだ。腹が立つ。気に食わないから今すぐ死んで欲しい」なんてこと、面向かって友達や仕事上の付き合いのある人、社内の上司や同僚に言えないですよね。
でも、「私は」というところがバレない状況なら言えちゃうわけです。
全く思ってもないことを勝手に自分の手が書くわけがないじゃないですか。
だから、少なからずそんなことを思っているし、そういうことを言ってやりたいと思っているわけです。
「死んでしまえ」とまでは思ってなかったとしても、ふと書いちゃうということは、「書くこと」によって自分のより深いところまで引き出していると言えます。
「死んでしまえ」が、具体的に本当に当人の死亡を望むものではなく、自分にとって最高位の嫌悪を表す表現として使っているかもしれません。
文字に見える表現だけではそういった計り知れない本心があるかもしれませんが、少なくとも相手に対してかなりの嫌悪を感じていて、「死んでしまえ」ということで、そのことを表現していると言えるでしょう。
ネガコメは「書くこと」を通じて本性を引き出している一例
こんな風に、当人に面向かって「ムカつくんだよ!」と言えなくても、ネットだと簡単に書けちゃう。
ネガコメは、「書くこと」を通じて、その人の本性を引き出している一例です。
「書くこと」は、それがポジティブなことにせよ、ネガティブなことにせよ、あなたの本質を引き出します。
何かしら書きだしたときに、ネガティブなことばかり出てくるということは、世界をネガティブにとらえているし、ポジティブなことばかり出てくるなら、世界をポジティブにとらえているわけです。
私はネガコメしちゃダメだとか、それが道徳的によくないとかいうつもりはありません。
ただ、その発言は、良きにせよ悪しにせよ、自分の本心を表していることは自覚した方がよいと思っています。
思いつくままに書いていくだけで、自分のことが色々発見できるもの。
あなたがふと書いちゃうことは、あなたの本心です。
普段、自分がどんなことを書いているか = どんなことを思っているか、見返してみると、何か発見があるかもしれませんね。