自分を表現する場所があるということは・・・

ツイッターにつぶやいたり、

ブログに記事を書いたり、

メルマガを配信したり・・・

そうしているときに、自由を感じます。

 

自分をそのまま表現しているのが楽しいです。

何の制限もなく、

思うがままに表現できる場所があるというのは、

すばらしい!

 

思うに、制約を感じる社会なのかもしれないですね。

何かあったらどうしよう、と問いかけながら暮らす社会は。

自分らしさを表現することがリスキーに感じる社会は、

どちらかというと不健全な感じがします。

 

やりたいことより、制限事項の方が次々出てくる。

そういう思考回路の人に何人も会ってきました。

やりたいことなんてなかなか思いつかない人にも会ってきました。

 

縛り、縛られ合うことが幸せな時代は、

もう終わりを迎えていることに、

薄々気づいているんじゃないですかね。

 

なかなか、古い価値観が邪魔をして、

うまく離れられないのかもしれないけど、

これこそ、縛りが大切だという価値観の現れだと思います。

非常にトリッキーです。

 

その反動として、SNSが不健全な使われ方に

なっている感じがします。

 

表(実社会)で表現できないから、

裏(仮想社会)で表現してみる。

そういった人は、表現のトレーニングをしてないから、

あるいは、実社会で抑圧されすぎているから、

どうにも切れ味の鋭い刃物のようになってしまう。

 

実社会で何か表現すると、少なからずフィードバックをもらえます。

それは、良きにせよ、悪しにせよ、です。

だから、更生もできるんです。

 

今は、仮想社会で表現しても、

あまり良質のフィードバックがもらえないですね。

蹴落としたり、誹謗中傷したり、実社会でやっていたら

大混乱が起こるような発言も、仮想社会では割と普通に

やられています。

 

むしろ、そのフィードバックのやり方が普通に思えてしまう。

そして、またひとり、不健全なフィードバックをする人が産まれる。

 

仮想社会でのフィードバックは、大抵取り込めない。

誹謗中傷だったりするから。

そうなると、自分の表現は変わらない。

それどころか、フィードバックに対抗して、

ヒートアップして、不健全になっていく。

 

どうも、「自由に表現すること」というのを

履き違えている感じがしてならないです。

 

何とも言えない、負のスパイラルですね (-“-;

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