問題があった時に、なぜ問題が起こっているかを追求していませんか?
問題を追求することは、実際はほとんど役に立ちません。
それどころか、害になることすらあります。
解決策を考えることに注力することが、うまくいく早道です。
問題を追求することが害になる?
たとえば、今まさに溺れかかっているとしましょう。
「なぜ自分は溺れそうになっているんだろう?」
なんて考えている暇はないですよね (-“-;
「そうか、バタ足をしたときに右足のふくらはぎがつったんだな」
とか原因が分かっても、仕方ないじゃないですか (^_^;
「どうすれば水から出られるか?」
と考え、解決策を見出さないことには、溺れてしまいます。
できるだけ早く、安全な方法で現状を抜け出す方法を探しますよね。
これ、問題追求することが役に立たないどころか、害になっている例です。
問題追求して問題が解決するか?
あるいは、憂鬱で憂鬱で仕方がないとき。
「なぜ憂鬱なんだろう?」なんて考えても、憂鬱な理由が山ほど出てくるだけです。
明日は上司にプレゼンしなくちゃならないんだけど考えがまとまってないんだ、とか。
会いたくないやつに合わなくちゃいけない、とか。
さっき恋人と喧嘩したばかりで、これからどうしたらいいか分からない、とか。
問題を追求しても、決していい気分になることはありません。
もし憂鬱な状態を抜け出したいのだとしたら、これほど不適切な質問は無いでしょう。
「どうしたら元気になれるか?」
といった問いかけをすれば、何か解決策が出てくるもの。
上司にプレゼンする前に同僚に見てもらえば少しは安心できる、とか。
プレゼンしたら夜はパーッと焼肉に行くぞ!とか。
楽しくなる方法を考えることができるようになります。
問題追求の前提にあるもの
問題を追求する癖があるということは・・・前提があるはずです。
たとえば、問題さえハッキリしたら、すべてうまくいく、とか。
あるいは、問題をハッキリさせることが問題を解決する最低条件だ、とか。
これらが当たり前のように思うなら、そういう思い込みがあるということです。
少なくとも、溺れかけているときに問題の原因がハッキリしても役に立たないことは前述したとおり。
もっと言うと、問題がハッキリしたところで、解決できるとは限りませんよね。
結局のところ、どうすれば現状よりよくなるかを考えることが、解決のためには必須なのです。
問いかけを変えると、解決策が出てくる
「なぜ憂鬱なんだろう?」という問いかけをすると、憂鬱な理由が次々出てくるのと同じように。
「問題は何だろう?」という問いかけをすると、どんどん問題が出てきます。
「解決策は何だろう?」という問いかけをすれば、どんどん解決策が出てきます。
だから、問題を追求して、さらなる問題を生み出すことに時間をかけるよりは、どうすればよくなるか、という解決策を追求することに時間をかけてみてはいかがでしょうか。
今問題だと思っていることが、実は大した問題じゃなかったり、あっという間に解決することだったりするかもしれませんよ?