今朝は公園で瞑想してみたら、非常にスッキリしました。
瞑想後は公園の深緑がよりキレイに見えちゃったりして。
ただ、40分はさすがに長かったですねぇ・・・ (^^;
朝トレとしての瞑想
このところ朝は30分ほど散歩して、その後ランニングしたり瞑想したりしています。
今日は、これまで何度か顔をだしている坐禅会の日でしたが、行かなかったので、その代わりというわけでもないですが、40分間の瞑想にチャレンジしてみました。
坐禅会では、大体40分くらい (線香1本分)坐禅していますからね。
瞑想といっても、ちゃんとしたやり方とか知っているわけでもないので、坐禅のときに習ったことをやってみました。
すなわち、「自分の呼吸を意識する」ことです。
瞑想する時は呼吸に意識を集中する
iPod Touchのアラームを40分にセット。
手頃な石の上に座って、姿勢を整え、半眼になり、呼吸に意識を向けます。
最初は、「吸って、吐いて」と意識しながら、ゆっくり呼吸します。
呼吸が落ち着いてきたら、「吸って、吐いて」はやめて、吐く息に合わせて「ひとーつ、ふたーつ」と数を数えます。
10までいったら、また1から数え直します。
いうなればこれだけですね。
そのうち数を数えるのも忘れて、没頭していきます・・・
そうしているうちに、ふとした瞬間に、頭の中に思考がよぎります。
読みかけのマンガのことや、最近プレイしたゲームのこと、好きな映画とか、ブログのこと、これからどうしていこうか、など・・・
そのときは、また呼吸に意識を戻します。
最初にやったのと同じように「吸って、吐いて」と意識しながら、ゆっくり呼吸して、数を数えて・・・
姿勢が乱れたことに気づいたら、姿勢を整えます。
この過程を時間いっぱい繰り返します。
木漏れ日の中、吹き付ける風が心地よかったです。
瞑想40分は、長かった!
初めてひとりで瞑想40分にトライしてみましたが、長かったですね (^^;
25分くらいしたころには、石の上に座っていたせいか、お尻が痛くて仕方がなくなったので、土の上に座り直しました。
瞑想中にブログのことを考え、「あ、写真撮ろう」とか思って、動きたくなったら、こらえて。
「む!?首筋に虫が!?ごそごそする!?!?」のは我慢しきれず、虫を払いました (^^;
何かをやりたくなっちゃう衝動との戦いですねぇ。
それは身体を動かすことだけでなく、思考することもそう。
人間、暇になったら何かやりたくものなんですね。
そんなときは、呼吸に意識を向けるだけでなく、蝉の声や近くで野球をやっている少年たちの声、遊んでいる子どもたちの声、木々のざわめき、肌に吹き付ける風、お尻の下の地面のぬくもりといったところにも意識を向けます。
五感に意識を向けているときは、思考できませんからね。
アラームが鳴らなかったというオチが!
それにしても、えらい長いなーと思ってアラームをセットしていたiPod Touchを見てみたら・・・
「タイマー終了」の文字が!?
どうやら、音量0になっていたようです (^^;
昨日ラジオ出演したので、そのときに切っちゃってたんですかね・・・
いつの間にやらロスタイム含め、40分+α の瞑想になっていました (^^;
気持よかったのでいいんですけどね。
行動の優先順位付けについて考える
こうして瞑想をしてみて思うのは、価値観というか行動基準というか優先順位というか。
そういうもののことです。
すなわち、「瞑想すること」よりも「活動すること」することの方が価値があると感じているんだな、ということ。
私の知っている人の中で、瞑想することに価値を感じていて、当たり前のようにやっている人の方が遥かに少ないことを思うと、もしかしたらほとんどの人がそうなのかもしれません。
何かしている方が価値があり、ただジッと呼吸に意識を向けることは退屈でつまらないことだと思っている。
瞑想中、身体を動かしたり、考えたりしたいという欲求がひっきりなしに襲ってきました。
瞑想におけるストレス解消とかその他もろもろの効能を考えると、うだうだインターネットを見続けたり、スマートフォンをいじり続けたり、ガンガン飲み食いしたりするより、遥かに効果があることは科学的にも証明されているそうです。
それなのに、瞑想することより、何かすることの方が価値があると思っている。
この辺が興味深いです。
人間はドーパミンがドバドバ出るようなことの方に意識が向いちゃうんですよね。
だから何だと、うまく言葉にできるほどまとまっていませんが、人の動機づけとか優先順位といったことについて考えるいい機会になりました。
瞑想の後はヨガなども
瞑想が終わったら、いくつか思い浮かんだヨガのポーズをとってみました。
これ、想像以上に気持よかったですね。
自然の中でやるヨガもよさそうです (^o^)