思い出の自作パソコンを破棄したら、気持ちがスッキリした件

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昨日、ついに自作パソコンを捨てました。

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この自作パソコンは私が大学時代に作ったもので、ずっと使ってきたのですが、調子が悪くなり、またMacを購入してからは利用頻度が低くなってきました。

長野に移住して部屋のサイズが小さくなったので、使わない箱を置いておくのもなーと思っていました。

データとしては残しておきたいものがあるため、10年以上ずっと持ち歩いていたのですが、先日、MacのVMWare Fusionでデータ取り込みをし、それで問題がなくなった以上、そろそろ潮時かと。

・MacでWindowsを動かそう!VMWare Fusionで初めるOS共存生活 〜まとめ〜

あと、この自作パソコンのメンテナンスのために、ケーブルやネジなど、いろんなパーツを貯めこんできていたのですが、それらも一緒に破棄しました。

すると、ものすごくスッキリしちゃいました!

やはり、余計なものを貯めこんでおかない方が、気持ちの上でもいいですね。

こちらの本にこんなフレーズがあったのを思い出しました。

しかし結局、捨てられない原因を突き詰めていくと、じつは二つしかありません。それは「過去に対する執着」と「未来に対する不安」。この二つだけです。

自作パソコンは、いうなれば「過去に対する執着」でした。

データ取り込みをし、VMWare Fusionで同じ環境が再現できちゃっている今、どうして、物理的には邪魔なのに残し続けるか。

もしかしたら、データ取り込みしたけど、うまくいってないんじゃないか、とか。
最終処分場まで捨てに行くの面倒臭いし、とか。

そうやって、手元に残すための言い訳じみたことを紡いでいた感じがします。

そもそも、このところ起動すらしてないんだから、そんなデータはなくても困らないんですよね (^^;

こういった「過去に対する執着」を、ひとつ手放せた感じがしました。

あー、スッキリした!♪(▽`*)

机の下が片づき、作業場が広くなりました。

空間は、「過去に対する執着」のためではなく、未来の自分のために使っていくこと。

これこそ、私が次に進むために必要なことだった感じがします。

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