自由になるほど不自由さを求める不思議な心理

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人は自由になるとあえて不自由さを求めるところがあります。

「何をやってもいい」と言われると、どうしたらいいかわからなくて、枠や型といったものをかえって求めてしまいがちではないでしょうか。

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新入社員研修でよく起こる「型にはめる」という考え方

新入社員研修をやっていると、研修の対象者となる新入社員さんは、はじめてやることに果敢にチャレンジする機会が多くあります。

私の研修は割とフリーな部分を多くしてあり、結果が得られればやり方はかなり自由にしています。

むしろ「それはやめてくれ」と私が言うくらいやってみて、とすら言っています。

面白いことに、そういうスタンスでやっていると、むしろ型にはめてほしいというニーズが出てくるんですね。

たとえば、「このことについて調査して、その結果からあなたが考えたことをまとめて報告してください」というお題を出すと、だいたいこんな風な質問が出ます。

  • 「文量はどのくらいですか」
  • 「パワーポイントで作りますか」
  • 「去年の人はどんな風にやりましたか」
  • 「例を見せてください」
  • 「報告は何分くらいですか」

などなど。

こちらの意図していることを引き出そうとして質問している部分もあるので、その点はいいです。

ただ、本人にそういう意識がないことがよくわかってしまうのは、そうやってこちらの望みに合わせて型を決めて、それからとりかかろうとしている、という意図が見えちゃうことです。

「私が理解できれば5分でもいいし、別にスライドも作る必要はない」

と言ってしまうと、何をどうしたらいいかわからなくなっちゃうんですよね。

私が望んでいることといえば「調査結果を自分なりに考察して報告」して欲しいだけなので、やり方はどうであってもよく、任せているわけです。

自分の意見を考えることもそうだし、その伝え方もまた考えて欲しいわけです。

これまでやったことがないことを演習でやると、こういった、「やり方」を聞かれることが実に多いですね。

学校教育の中では、結果を求めるために、やり方をいっぱい教えてきているので、やり方は聞くものだと思っちゃっているのかもしれません。

テストの多くは「この解を求めなさい」であり、その解はほぼ1つに決まっていて、授業で学ぶのは「解の求め方」ですからね。

自由であればあるほど、その自由意志で不自由になろうとする

こういうのは新入社員研修の話だと思えば「うんうん、新人はそういうところあるよねー」と思う人もいるかもしれませんが、誰しも抱えているものです。

それこそ、私たちは「幸せ」だったり「満足」していたりすれば何だっていいわけです。

その「幸せ」や「満足」を実現すれば、やり方は無限大。

今の日本ではどう自由に生きてもいい。

「幸せ」や「満足」で生きられればそれでいい。

どこに住んでもいいし、どんなことをしてもいい。

日本に住む必要もなければ、会社勤めをする必要もない。

それなのに、実態はどうでしょうか。

どうやって生きればいいかわからなくて、ひとまず型にはめちゃっていないでしょうか。

面白いことに、これほど自由にやっていいと言われちゃうと、返って型にはめるなど、不自由になることを求めるのです。

いうなれば、人は自由であればあるほど、その自由意志で不自由になろうとしている、と言えるかもしれません。

いい大学に行って、いい会社に入るとか、完全に型にはめちゃっているものですね。

そこから外れる自由を持っているのに、そこにはまって不自由を満喫してしまうのです。

おわりに

新入社員研修で、枠も型も無いことを扱うと、必ず同じような質問が出ます。

多くは「やり方」についての質問です。

しばらくやっていると、私の求めていることがわかるからか、あるいは自分なりのやり方が決まっていくからかはわかりませんが、次第に収束していきます。

一度収束すると元に戻らないこともあるので、注意が必要なのですが・・・

こうして研修でやっている行動は本当に人生の縮図だなーとよく思います。

真新しいこと、自分の未経験な世界にぶち当たったときの対応の進め方は注意してみるといいですね。

「やり方」を人に聞いてないでしょうか。
「○○するための3つの方法」などを探して読んでいるようなら、そうだと思っていいでしょうね。

もっと自由な発想で、自分の頭を使って、「自分なりのやり方」を考えることもやってみてください。

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