筋トレをすれば筋肉が鍛えられるのと同じように。
思考もトレーニングすれば鍛えられます。
大事なのは、今の自分にとって「役に立つ」思考のトレーニングをしているか、ということです。
思考回路もトレーニングすれば育つ
健康のために筋トレをしている人はたくさんいます。
トレーニングを続けていると、だんだん筋肉が鍛えられ、脂肪が落ちる・・・というか、活動するにあたってより最適な体になっていくと言っていいでしょう。
同じように、受験勉強などで必死こいて勉強したら、学力が上がります。
数学を1日中勉強したら数学的な思考回路がトレーニングされます。
これまで解けなかったような問題が解けたり、新しい見地を得て、より効率良くスマートに問題が解けるようになったりします。
では、1日中心配していたらどうでしょうか?
そうです。「心配する」という思考回路がトレーニングされます。
これまで思いつかなかったような心配事を見つけてみたり、新しい見地を得て、より効率良くスマートに心配事を発見できるようになったりします。
心配することに関しては最適な体になっていくと言ってもいいでしょう。
いずれにせよ、トレーニングをすることで、トレーニングした部分が強化されるということです。
心配性な人は、「心配する」という思考のトレーニングの賜物
つまり、常日頃から必要以上に心配しがちな人は、これまでいっぱい心配して、「心配する」という思考回路をトレーニングした結果だと言えます。
他の人だと気づかないようなことまで心配で仕方がないなんて、よっぽど厳しいトレーニングをしてきたのかもしれません。
だとすると、心配する回路は十分にトレーニングされているのだから、もうトレーニングする必要はないのかもしれませんね。
こういうのは時間配分の話でもあり、これまで生きてきた中で、心配すること、イライラすること、不安になること、楽しくなること、嬉しくなること、などなど、それぞれ意識を配分してきた割合によって現状があると言えます。
これまでは必要だったからやってきたことかもしれませんが、もういいなと思ったら、もっと役に立つことに時間を使いたいなと思ったら、やめてしまうことだってできるのです。
おわりに
心配性な人と話していると、「心配事があるとしたら」という視点で色々なものの見方をしていることに驚く事があります。
私もそれなりに心配性な方だったと思うのですが、上には上がいるなーと思います。
ついついそういう見方をしちゃう、ということなんですよね。
思考の癖と言っていいかもしれません。
まずはそういう癖があるなーということに気づくことが大事です。
だったらどうしようかな、と考えられるからです。
今、心配事に費やしている時間を別のことに割り当てられるとしたら・・・何に割り当てたいですか?