上司のくだらないオヤジギャグを、本人に「くだらない」と言えますか?
そんなこと言ったらどんな目に合うことか・・・
まあ、たまに言っちゃう人もいますけど、そういう人は空気読めないんですかね?
「人に嫌われたくない」のは人間の本能
「人に嫌われたくはない」というのは、人間の本能的な恐れです。
赤ちゃんは親に嫌われると生きていけないことを本能的に知っているので、親の様子を見ながら、意識を向けてもらえるように = 愛情をもらえるように行動します。
泣いたり笑ったりするのもその一貫といえます。
そうして幼少期を過ごし、幼稚園への入園や小学校への入学で社会的なデビューを果たしてからも、多くの人はできるだけ人からは嫌われないように生きていきます。
特に日本人は同化意識が強いので、周りと外れたことをすることを極端に恐れがち。
そうして周りに対して取り繕うのが習慣化していきます。
ガッチガチの自分を、自分自身が好きになれるか?
ある意味、それは自分を守るための防具です。
そうやって、ガッチガチに固めて、できるだけ誰からも嫌われないような努力をするのですが・・・
だからと言って、万人に好かれることはありませんよね。
何をどう頑張っても、「そんなあなたが嫌い」という人が出てきます。
逆に、あなたのことが好きだと言ってくれる人も、取り繕ってガッチガチに固めたあなたが好きだと言うわけで・・・
取り繕うのをやめたとき、あなたが好きだと言ってくれるとは限りません。
ここが大きなジレンマになるんですよね。素の自分を出していいのか。
好きとか嫌いとかいった感情、泣き言や相談、愚痴というのは、素のあなたから出てくるもの。
そんな素の自分を晒した途端に、その人に嫌われてしまうのではないか。
その恐怖から、取り繕う鎧を脱ぎ捨てることは、なかなかできないものです。
私もそうでした。
周りに合わせて、いい顔して、できるだけ当たり障りないように生きて来ました。
本当は目立つことが好きなのに、目立たないようにしたり。
本当は付き合いたくない人とも、いい顔して付き合ってみたり。
・・・・・・
でも、あなたはそんな自分自身のことを好きになれますか?
どうせ「あなたのことが嫌い」な人は出てくる
一方、素の自分でいても、「あなたのことが嫌い」という人が出てきます。
冒頭に書いた、上司のくだらいないオヤジギャグの話。
周りに合わせて、自分の立場を考えて・・・ついつい笑ってしまうのは、なぜでしょうね?
素の自分を嫌われるより、ガッチガチの自分を嫌われる方がマシだと思うかもしれませんが・・・
ガッチガチの自分が好きだと言われ、ずっとガッチガチでいる事はハッキリ言って苦痛です。
その人に好いてもらうために、ずっと取り繕わなくちゃならないんだから。
一生涯自分のらしくいられないことの方が、苦痛は大きいです。
結局のところ、取り繕っても、取り繕わなくても、「あなたのことが嫌い」という人は出てくるのです。
だったら、最初から素の自分でいて、その自分を好きとか嫌いとか言ってもらった方が、遥かにマシだと思いませんか?
私の場合は、素でいられるようになればなるほど、付き合いやすくなったと言ってくれる人が増えました。
面向かって嫌いだと言ってくれた人は今のところ皆無です。
むしろ、取り繕っていた頃こそ、嫌いだとか、二度と話したくないとか言われてきました。
今は、ありがたいことに好きだと言ってくれる人の方が断然多いです。
いきなり全ての猫の皮を脱ぐことは難しいかもしれませんが、1枚ずつでもいいから、脱ぎ去っていって、自分らしく生きてみましょうよ!
その方が圧倒的にストレスが少なく、パワフルに生きられますよ!! (^_^)
おわりに
自分らしさを発揮する、といわれても、実際のところ結構難しい。
こんなこと思う自分は変なのか、こんなことしたら馬鹿にされるんじゃないか、嫌われるんじゃないか。
そんなことを常に考えながら多くの人は生きています。
そうして相手にできるだけ好かれるように、好かれるように生きることで、何を得ているのか。
そして、何を失っているのか。
そんなことについて考えてみたら、、、意外と今のやり方だと、実はうまく行ってないのかもしれませんよ。