いよいよ平成最後の日ですね。
まあ、特にだからどうということはないのですが、この「終わりを意識する」という感じって大事なんですよね。
あなたも締切がなかったらやりきれなかったことの1つや2つあるのではないでしょうか?
終わりがあるからこそ、私たちはやり遂げることができるものです。
また、ぜひやって欲しいことは、終わりに際して「どうだったか?」と振り返ることです。
平成というのは、あなたにとってどういう時代でしたか?

平成時代を振り返る~学生時代
私は小学生のころに平成になったため、青春時代に平成がはじまりました。
中学ではバレーボールに情熱を注ぎ、高校ではひたすら勉強して、大学にも行って、そのまま大学院まで行くなんて全然考えてなかったです。
私が生まれ育った地域は超田舎で、普段の生活で大学生なんて見たこともなかったし、親類でも大学進学とか聞いたことないようなところ。
大学に進学したときに中学時代の下級生とした会話を今でも覚えているのですが、
「今は慶應義塾大学に通っている」
と言ったところ、
「それはどこ?どういうところなの?」
と言われ、
「福沢諭吉知ってる?一万円札の人」
「ああ、そういう名前の人だったっけ」
「東京の方の大学だ」
「はー、東京かー、すごいなー」
というような会話が実際にあったくらいです (東京の方の大学はすごい、という認識っぽい)。
平成時代を振り返る~会社に就職
大学院を卒業したら、博士課程に進むか考えたのですが、結局は就職しました。
大手電機メーカーの現場改善部隊に配属され、毎日のように新幹線に乗って、ホテルに泊まり、国内の工場を巡ってました。
会社のスキー部に入ってからはスキーにハマって、全社大会に出るのを目標にいっぱい滑りました。
東京で就職し、転勤で関西に移り3年少し過ごします。
その間に私の人生を決定的に変えることになったNLPに出会いました。
そのNLPのセミナーで出会ったのが今の奥さんで、あれよあれよのうちに結婚してたりして。
あと、関西にいる間に1度は辞表を出していて、引き止められて東京に戻った経緯があります。
結局、東京に戻ってから2年を待たずして退職しました。
平成時代を振り返る~長野に移住
退職と同時に長野に移住します。
長野は夫婦ともども縁もゆかりもない土地でしたが、ロマンを感じて移住することにしました。
「会社を辞めて、日本全国どこに住んでもいいとしたら、どこに住みたい?」
関東には、夫婦そろって大学進学を機に出ていることもあって、東京に住み続ける理由は特になかったんですよね。
会社を辞めることに決めてからはそんなことを考えながら、移住する場所を奥さんと探しました。
長野に移住してしばらくスキーのインストラクターをやったりしながら過ごしてましたが、東京で研修講師の仕事を得たことがまた転機になります。
それから東京と長野の2拠点生活構想が出てきて、実際に半年後には東京事務所を開設していました。
ヘッドハントにあって (なんとTwitterでオファーが来た!)仕事を得たり、エージェントさんから仕事を紹介してもらったりして、2拠点で仕事を続けます。
システムエンジニア、コーチ、カウンセラ、コンサル、などなど、いろんな仕事の原型がこうしてできてきました。
平成時代を振り返る~その他いろいろ
長野では奥さんと託児所兼コワーキングスペース「はぐみ館」をオープンします。
これが事業としてはまるでうまく行ってなくて、今でも悩ましいです (苦笑
子どもは2人生まれるし、まさか手術を受けることになるとは思いませんでした (虫垂炎で虫垂を取った)。
韓国、タイ、ベトナム、アメリカにも行ったし、沖縄や北海道も行ったし。
さすがに30年もあると、相当にいろいろなことをしていますよね。
おわりに
あなたはどういう平成を過ごしましたか?
そしてその経験は、次の30年にどういう意味を持つでしょうか。
あなたにとって、平成というのはどんな30年だったか、振り返ってみてくださいね。