「プラダを着た悪魔」を観ました。
私のWebマーケティングの師匠が最近猛烈にオススメしていたので、観たくなりまして。
この映画、なんだかすさまじいですね!
こんな上司、いていいんだろうか?
(*この記事は多分にネタバレを含みます。その点ご了承の上で読み進めてくださいね)
むちゃ振り上司
ヒロイン (アン ハサウェイ)があるファッション雑誌社の、ある編集長?の秘書として働き始める、というところから物語が始まります。
秘書ということは、専属の上司がいるわけで・・・
その上司ってのが、とんでもない女!まさに「プラダを着た悪魔」
何がとんでもないって、とんでもない指示を出してくるのです。
- 15分以内にステーキを用意しなさい (お店の開いている時間ではない)
- ハリケーンで飛行機が欠便になった。飛行機を手配しなさい
- 発売前の本の原稿を手に入れなさい
- ○○ (ブランド)のスカーフを持って来なさい (お店の開いている時間ではない)
- コーヒーを買って来なさい (熱めでミルクはどうのこうのと指示が細かい)
- 家まで雑誌の原稿を持って来なさい
- 予定より早く現れておきながら「私のコーヒーがないなんてどういうこと?」とか言う
などなど・・・
無茶ぶりもいいところです (^^;
ステーキをちゃんと用意したら「何を用意しているの?いらないわ」なんて言われちゃう始末。
よくこんな悪魔をこの会社は雇っているなぁ。
アメリカってすごいですね (←?
努力している?していない?
それにしても、ハリケーンで飛行機が欠便になったから、別の飛行機を手配しろってむちゃくちゃですよね。
どこの飛行機も飛ばないに決まってます。
でも、今晩中に帰るのだと言いはります。
しかも、その理由が、メチャクチャプライベートな用事。
翌日の娘たちの演奏会に出るとかなんとか、そういう理由なのです。
ヒロインは (おそらく航空会社に)電話しまくり、なんとかフライトの手配をしようとしますが・・・
結局、飛行機は手配できず。
上司は帰ってきてから「あなたには大変失望した」とヒロインに言い放ちます。
もうヒロインはたまらなくなっちゃって、涙目になりながら頼れそうな同社の社員に相談しに行きます。
どれだけ努力しても、認めてもらえない、と。
すると、その同僚は・・・
「じゃあ、辞めてしまえばいい」
「君は全く努力をしていない」
と、バッサリ言い放つのです!
評価するべきなのは過程?結果?
「上司が求めたことを実現できてないのだから、君は全く努力してない」なんて、あんまりですよね。
ただ、この同僚の言ってることもわかります。
私たちは、つい過程の方を大事にしがちだからです。
- がんばった
- 一生懸命やった
- 精一杯やった
- 努力した
といった風に、そこに満足しがちです。
過程を評価するということ
会社にいると、「朝早くから仕事している」とか「夜遅くまで仕事している」とかいうところが評価されたりします。
あるいは「あいつは気が利くやつだ」とか言われたり。
これ「過程を評価している」ということです。
結果を評価するということ
お客さん目線からしたら、どうでしょうか?
今日できあがってくるはずのものが、あがってこないとしたら?
どれだけ一生懸命努力して精一杯がんばってやってくれたからといって、評価できないですよね。
お客さん目線だと、納期通りあがってくることを評価します。
これ「結果を評価している」ということです。
結果にコミットすること
私たちは過程に満足しがちです。
- 毎日ブログをアップする
- 1週間に1通メルマガを発行する
といったのは、過程なのかもしれません。
どうして毎日ブログを書いたり、メルマガを週1回書いたりするのかというと・・・?
- 自分の考えをまとめる
- 集客につなげる
- 収益を得る
- 仲間を増やす
などといった目標があるはずですよね。
だとしたら、本当に満足すべきなのは、
- 自分の考えをまとめる
→ 1ヶ月に本1章分に相当する知識を整理する - 集客につなげる
→ メルマガ読者を100人増やす - 収益を得る
→ 1ヶ月の売上を10,000円にする - 仲間を増やす
→ 月1回ブロガーの集まりに参加する or 企画する
といったことを実現したときかもしれません。
これが「結果に対してコミットする」ということです。
過程にコミットしている?結果にコミットしている?
「結果に対してコミットする」と、何だかプレッシャーを感じませんか? (^^;
私も今書いてみて、ゾワゾワ、ドキドキします (=”=;
だから、私たちは「過程に対してコミットする」ことを選んでしまうのかもしれません。
他人に対しては「結果に対してコミットする」ことを強要しがち
その割に、他人には「結果に対してコミットする」ことを強要しがちです。
- 何時に来るって言ったじゃないか
- どうして○○してくれてないんだ
- ××すると言ってただろう?
という感じで。
主観的な目線、客観的な目線
「私はコツコツやれてない」とか「こんなんじゃまだまだダメだと思うけど」などといったことを考えてしまうのは、自分の行動に対して、客観的な目線が入っているからです。
すなわち、「ほぼ毎日ブログをUPしている」のだけれど「毎日じゃないじゃない!」と自分の中で葛藤しているわけです。
過程を評価するとすれば、「ほぼ毎日ブログをUPしている」って素晴らしいことです。
でも、「毎日ブログをUPする」という「結果に対してコミット」をしているのだとすると、「ほぼ毎日ブログをUPしている」という結果に対して、満足に評価できません。
「あなたが決めること」が大事
最初に紹介した「プラダを着た悪魔」でもうひとつ印象に残った言葉があります。
それは、「あなたが決める」ということです。
ヒロインは、同僚に相談に行ったとき、「それ (むちゃ振りの指示に振り回される)が嫌なら辞めてしまえばいい」と言われたんですね。
上司もどこかのシーンで「あなたが決めることよ」といったことを言っています。
- もし過程を評価するなら、「ほぼ毎日ブログをUPしている」ので満足したらいいです。
- もし結果を評価するなら、「毎日ブログをUPする」ことを、何があってもやり遂げましょう。
どちらでもOKです。
「あなたが決めること」が大事です。
周りの視線に反応すると苦しくなる
どうしても私たちは周りの視線に反応しがちなので、「毎日ブログを書けてない」ことに罪悪感や劣等感など感じがちですが・・・
「ブログを毎日書く」という過程を評価すると決めたのなら、「ほぼ毎日」でもいいんです。
全く書かないよりはるかにまし。
誰かに何か言われても、「ブログを毎日書く」ことを精一杯やっていると言えばOKです。
これはまさに「過程を評価している」ということになります。
だから、いいんですよ。
自分なりに、やっていれば。
まとめ
過程にコミットしても、結果にコミットしても、別にどちらでもいいです。
大事なのは「あなたが決めること」です。
他人は結果にコミットすることを望みますが、「それは、それ」です。
あなたの普段の行動を振り返ってみてください。
「あれは過程にコミットしているな」とか「あれは結果にコミットしているな」とかあると思います。
仕事は、基本的に結果にコミットすることを求められます。
「がんばったからお金下さい」と言っても本当はもらえません・・・(-“-;
もしあなたが、過程にコミットしていることが多いと思ったら、もう少し結果にコミットするようにしましょう。
結果を評価しがちで窮屈なら、過程を評価してみましょう。
そのバランスをちょっと変えてみるだけで、あなたの気持ちはグッと楽になりますよ。
この映画「プラダを着た悪魔」、面白かったのでぜひ観てください!
ヒロイン (アン ハサウェイ)がどんどんオシャレになっていくところとか、観ていて楽しいです。
女性はこんなに変わるんだな〜なんて思っちゃいます。