元日は、家の近くにある
西新井大師にお参りに
行きました。
いや~すごい人混みでしたね。
地元が田舎でして、
普段は帰省しているのですが、
今年は東京で年越ししました。
東京に住み着いて8ヶ月、
どこにお参りに行けばいいかも
よくわからないので、
ネットで近場のスポットを
探していたら、
西新井大師にたどり着いた
わけです。
田舎のお参りでは、
あそこまで人がいることは
ないので、びっくりです。
恐らく、参拝行列に並んでいる
人数だけで、うちの田舎の
総人口を超えているのでは
ないでしょうか。
(冗談抜きで!)
すごい人混みだからか、
参拝はほんの一瞬なんですね。
警察官に並ばされ、
はい、行ってください、
と押し出され、
賽銭箱にたどり着いたのも
つかの間、
すぐ賽銭を投げて、
お願いごとをして、
はいサヨナラ、
といった感じです。
それからは屋台をみて
食べ歩きをしていました。
何だか、お参りが一瞬なので、
お参りのついでに屋台を
回っているというよりは、
お参りの方が実はついでなのでは、
と思っちゃいました (^^;
うちの田舎では、
屋台もそれほど多くはないし、
神社のお社の前には居たいだけ
いられるので、
やはりお参りがメイン、
屋台はついで、
という感じです。
むしろ、屋台で買い物は、
ほぼしないくらいですね。
嫁さんの方は、
屋台を見てはあれ食べたい、
これ食べようと
キャッキャ言ってました。
(食べものばかり!?)
彼女は伊勢神宮に
お参りをしていたそうなので、
人混みで参拝するのは
経験済みのようですね。
私には今年のお参りは、
非常にカルチャーショックでした。
そもそも、どうしてお参りのために
並ばされて、待たされるのだろうと
思っちゃったくらいです (^^;
このように、自分の過去の経験から、
これはあり得る、
これはあり得ない、
といった風に捉えてしまいがちな
ことってありませんか?
自分にとって
当たり前のことって、
実はほんの狭いところで
しか通用しません。
それこそ、電車で1時間移動した
だけで、結構通用しないものです。
同じ地域でも、世代が変われば
また違いますよね。
そもそも世の中には違いが
あるものです。
こういった違いを
「あり得ない」と捉えて、
受け入れず、嫌悪感を示したり、
「あり得る」ようにしてやろうと
力を入れるよりは、
「違いを楽しむ」
くらいの感覚でいられると、
色々なものが新鮮な感じになり、
受け入れやすくなります。
自分の思い通りにいかないと
思ってイライラしていることは、
実はほんの少し見方を変えることで、
全然大したことじゃない、
それも楽しいことだと思えるように
なれるかもしれません。
こういう気持ちでいられたら、
いろいろなことがうまく行きそうな
感じがしますね。
「違いを楽しむ」
くらいの気持ちで、
日々を過ごせるようになると
いいですね。