4月は1日3記事ブログを書くことを目標にしてきました。
昨日時点で56記事ということで、1日あたり2.5記事というペースが実現していますね。
なんだ、目標に足りないじゃないかと思われることでしょう。
そうです、足りてないのです。
その目標があったから、その結果が得られている
1日1日で見ていけば、1記事の日もあれば5記事の日もあったりするもので、3記事書くことができた日の方が少ない感じがします。
それが、今の私の実力だということです。
とはいえ、1日1記事でいいと思っていたら、多分、1日あたり1記事も書けてなかったでしょう。
1日3記事を書くことを目標にした結果、1日で2〜3記事書けている。
この事実が大事だと思います。
「今日も3記事書けなかった、今日もダメだったな」
「どうせ自分には達成なんてできない」
そうやって思うこともできるのですが、それだと何も得られてない。
自分がダメなことを確認することが目標であれば、その目標は達成できているでしょう。
そうじゃなくて、私は「1日3記事を書く」ことが目標なんです。
落ち込んだり自己嫌悪に陥ることは望んでいません。
自分が目標値の60〜70%くらいの実力にあることを受け入れることの方が大切ではないでしょうか。
実力を受け入れると、次に進める
で、あと1記事をどうやって書くかについて考える。この工程が必要です。
例えば、5記事書いている日は何が起こっているのか、分析してみます。
私的にはライトな記事が多いですね。サクッと書けちゃうというか。
内容の濃さと時間は比例しません。
写真を貼り付けまくっている記事はいい例かもしれません。
写真が多い方が記事のクオリティが高くて、時間がかかるということはないんですね。
写真が多くてもあっさり書けちゃっているものもありますから。
2つか3つの写真を貼り付けている記事でもやたら時間がかかっているものがあります。
考察を入れたり、新しい考え方を取り入れたりするときは、時間がかかっています。
あと、最近は写真を探してきたり、画像を作ったりしている記事があり、そういうのは妙に時間がかかっています。
そういう記事が含まれている日は、1日2記事で精一杯な感じのときがありますね。
昨日の「ムームーDNS」の記事なんて、文章書いて画像を作って、調べものして・・・と、全部で2時間以上かかりました。
・ムームーDNSを使ってブログのサブドメイン運用を試してみた
こういう記事がある日に、一律3記事書くのは、今の私にはできないということです。
ブログの執筆方式を変えて、文章を書く量を増やした
あと、最近は執筆の方式を変えました。
とにかく思いつくままに書いて、その中でブログ記事にしたらよさそうなものをピックアップして記事にしています。
このおかげで、ブログ記事にしていない文章もそれなりに発生しています。
たぶん、そうやって書いた総量のうち、ブログ記事になっているのは60〜70%くらいですね。
これは感覚的なものですが。
私が感覚として持っている、1記事あたりの文字数でみれば、全部ブログ記事にできれば30〜40%はブログ記事が増やせる計算になります。
未公開文章もかなりの量になってきました。
量をこなすことに意義を感じてきた
少し考えると当たり前な気がするのですが、3記事書くつもりなら5記事文くらいの分量を書くのは、そんなにおかしくないですね。
100m走の選手は、100mを走る前に100mを遥かに超えて走りますし、その前に柔軟体操くらいするでしょう。
ウォーミングアップが本番より長いというのは、よくあることだと思います。
それなのに、こと文章を書く、ブログ記事を書くのであれば、1記事書くのに1記事分のエネルギーがあればいいと思うのは、思い込みだと思うようになりました。
ネタ集めや調べ物の時間もブログ記事を書く時間の一部と思えば、1記事には1記事分のエネルギーを超えてかけているわけです。
だから、書こうと思ったからといって、記事が上がってくるかというと、そうでもないことがある、ということが大切なのではないでしょうか。
ブログ記事としては、ある程度の結論があり、まとまって書かれている必要があると思っています。
なので、そこに至らない、アイデアを書きまくったけど結局なにが伝えたいのかわからない、結論もない、堂々巡りしちゃった、なんて文章は、その場では陽の目を見ないのです。
出版するような人は、本に印字されている文字が100,000文字あるとしたら、その倍くらい書いていると思います。
私は会社員時代、システムエンジニアとして仕様書を書いたりしていましたが、それも書きなおしを考えると、成果物よりはるかに書いているんですよね。
この効率が上がってくると、5記事分の文量を書けば、2記事が3記事、3記事が4記事と上がってくるだけの話で。
そんなわけで、人の目に付く以上の文量を起こすことは、意味があることだと思うようになりました。
全ての文章は、自分にとって意味があると信じられるか
逆に言うと、日の目を見る文章以上の文章を起こすことを無駄だと思ったり、後悔したりしないことの方が大切ですね。
全ての文章は、自分にとって意味があるものです。
結論がなくても、まとまっていなくても、意味が無いように見えても、時間がかかったとしても。
全部、意味があります。
私の未公開文章も、新しい記事を書くキッカケになっていますし、考えをまとめるのに役立っています。
今は何になるのかわからない、原石のような文章もあります。
ダイヤなのか石ころなのかも分かりません.
いつかどこかで使われると思いますし、使われなくてもそれはそれでいいかな、と思います。
そういった活動が私の原動力になっているので、やはり私は書き続けるのです。
文章の絶対量を増やす
こうして見ると、3記事を目標にして、2.5記事くらいというのは、私の今の実力に適っている感じがします。
そもそも公開しないのが前提の文章もたくさんありますので、一概には言えませんが、例えば1日で10記事分の文章を起こせるようになれば、6〜7記事を書くことはできるようになるでしょうし、公開するつもりで全部文章を書けば、もう数記事は増やせることでしょう。
今は量をこなすことに意味があると思っています。
文章を書く絶対量が足りないし、時間も確保していないのに、記事数が増えると思う方が不思議です。
こういうところにも、努力が必要だと思い始めています。
あるライターは、ライターになりたければ、1日12時間書き続けるくらいの覚悟があるか、ということを言われていましたが、そういうことですよね。
練習時間は本番時間より長いものです。
本番時間は氷山の一角で、練習時間は目に見えないところで土台になっています。
その原則どおり、私は文章を書く量を今は増やしています。
文章量がもう1割、2割増えたら、今の実力値だと1日3記事が達成できそうです。
ブログの記事にする効率を上げることより、そのための時間を確保することが、今の私の課題ですね。
頭で思い浮かんだことを文章化する、というところを効率化するためにScrivenerを導入してみていますが、この試みはうまくいっている感じがします。
もっとガシガシ書いてみます。