映画「ノア〜約束の舟」を観て感じた「選択」という試練

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映画「ノア (NOAH)〜約束の舟」を観てきました。

聖書のことはなんとなくしか知らないので、そういうドラマがあったんだなぁと思いながら観ていました。

奥が深く、色々考えさせられるお話ですね。

映画「ノア」

ノアの苦悩と、最後の選択

ラッセル・クロウが演じる「ノア」。
その苦悩をよく感じました。
人は滅びるべきだと神に言い遣わされ・・・頑なにそのことを実現しようと動きます。

鬼のような決意で望んでおり、例えどれだけの人が亡くなっても容赦しません。
まあ、人類滅亡させようというのですから、100人亡くなろうが1,000人亡くなろうが関係ないでしょうね・・・

不退転の決意で、ずっと神の言葉を信じて、神の望むまま人類滅亡への道を歩んでいたのですが・・・

最後に「愛のある選択」をしました。

人類は、生き残る。

人は人を産んで、大地に満ちる。

そんなことを最後に選択しました。

「選択」という試練

神に与えられたノアの試練は、「選択」だったんでしょうかね。

自分の良心にしたがって、最善の選択だと思えることをすること。

神によって言い渡された「決められた選択」ではなく、「自分の良心にしたがった選択」をすること。

最後の最後で、ノアはようやく「自分の良心にしたがった選択」をしました。
鬼のような形相で頑なに人類滅亡を実現しようとしていた男が、大きな選択をしました。

そこには「愛しかなかった」と、ノアは言っていたのが印象に残っています。

「自分の良心にしたがった選択」をしているか

映画を観ながら、私自身のことを振り返って、「自分の良心にしたがった選択」をしているかなぁ、と考えちゃいました。

結局のところ、私たちはそのときに一番いいと思ったことをやるしかないんですよね。

誰かに決めてもらったり、周りの価値観で決まっている通りに動いていると、これができなくなっちゃいます。

お金があるから/ないから、やるとか、やらないとか。
誰かに好かれるから/嫌われるから、やるとか、やらないとか。
誰かがそう決めたから、やるとか、やらないとか。

そういう価値観の方を重視していたら、人類は滅亡していました。

私は、私が一番いいと思ったことをやっているか

そのことを自問する時間になりましたね。

おまけ: エマ・ワトソン

あと、「ハリー・ポッター」で「ハーマイオニー」役をしていた「エマ・ワトソン」が出ているのを見て、ちょっと不思議な気分になりました。
彼女の出ている映画は「ハリー・ポッター」しか見たことがなかったので。
(他の俳優さん/女優さんは何かしらの映画で見ている気がするため、特になんとも思わなかった)

彼女も立派な女優さんになってますねー。
他の俳優さん/女優さんが「アカデミー賞」とか「オスカー賞」とか、「◯◯賞」という肩書で紹介されているところ、彼女だけ「ハリー・ポッター」ですからね。

作品名が強いブランドを持っていると、こういう紹介も効果的ですね。

おわりに

劇場で映画を観るのって、いいですねー。

いつもは最後尾の真ん中で観るのですが、今日は劇場のど真ん中で観てみました。
映画ブロガーの柳下さん (@shuhei0919yブログ「A LA CARTE」)が「前の方で観るのがいい」というようなことを言っていた (気がする)ので、真似してみました。

確かに、前の方が、スクリーンが視界いっぱいになるのでいいかも?
集中できますからね。

聖書には前々から興味があるので、ちょっと「ノアの箱舟」のくだりでも調べてみようかな。

あと、今度は「トランセンデンス」も観たいなーと思っちゃいました。

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