なんとなく最近目についたキーワードで「難しそう」というのがあります。
私たちは「難しそう」と思うことでとてつもない損をしているんですよね。
何が「難しい」?
「難しそう」と思うときにどういうことが起きているかというと・・・
逆のことを考えてみるとよくわかります。
「難しい」の反対は「簡単」です。
あなたはどういうことについて「簡単だ」と思いますか?
だいたい、
- 手順がわかる
- 結果が読める
というのに対しては「簡単」だと思うのではないでしょうか。
私たちは、結果が読めて、ある程度その内容を保証できるものを「簡単」と言っています。
そして、それ以外は「難しい」になります。
つまり、
- 手順がわからない
- 結果が読めない (どこが落としどころかわからない)
ということに対して、ふと「難しそう」と思うということです。
だからこそ、
- やったことがないこと
に対しては「難しそう」という感覚が先に立っちゃいます。
これが大きな障害になっています。
そもそも「簡単」なことなんてない
そもそも、
世の中のことの大部分が
- 手順がわからない
- 結果が読めない
ことばかりです。
ほとんどのことがやってみなくちゃわからないことだらけです。
いつだって未来は確定していないのですから。
「やってみなくちゃわからないこと」にチャレンジしないための、先延ばしにするためのうまい言い訳が「難しそう」です。
「難しそう」とか言っておけば、なかなか手につかないですからね。
そのくらい、私たちは過去の経験に縛られて生きています。
変化する人は「難しそう」なことに挑戦する人
これまでの延長で生きていて、人生が変わるなんてことはそうそうないです。
これまでの行き方に変化を起こそうという時こそ、
「難しい」
= やったことがない
= 手順がわからない、結果が読めない
ことをやってみる必要があります。
だから、「難しそう」と思うことはチャレンジしがいがあるということです。
「難しそう」と思うことは、あなたがこれまでやったことがないし、その答えを誰も知らないことだと認識するセンサーだと思ってください。
自分の行き方に変化をもたらしたいなら、そのことは大いにやってみる価値があります。
やってみると案外簡単だった、という経験もあるのではないでしょうか。
「難しそう」と思ったら、それは挑戦するチャンスなのです。
おわりに
私たちが「難しそう」と思うことで、敬遠してきたものの中には、すごいチャンスもあったはずです。
やったことがないことに出会って、やったことがないからと言ってやらないうちは何もはじまりません。
「難しそう」と思うことは、「チャレンジする価値がある」ということを見抜く素晴らしいセンサーだと思ってください。
結果のわからないことにどんどんチャレンジしていると、そのうち「難しそう」という感覚はなくなっていきます。
なんとなく「難しそう」と思ったことは、ひとまず手をつけてみてください。