私は肩が凝る方で、放っておいたら凝っていることすらわからなくなっちゃいます (^^;
ここ数日は、嫁さんに、風呂あがりにマッサージしてもらっています。
嫁さんいわく、だんだん筋肉が緩んできているというのですが、私はどうも緩んできている時のほうが痛かったり違和感を感じたりするようです。
凝りに凝っているときは、痛いのすらわからず、緩んできた方が違和感があるなんて、困ったものですね (^^;
習慣としていることって、案外そういうものかもしれませんね。当たり前だと思っていること、といってもいいでしょう。
当たり前だと思っていることが当たり前じゃなくなる時
いつも同じことをやるのが習慣であり、習慣なだけあって、いちいちそれをすることに悩んだり迷ったりしません。
いつもと同じように、同じだけやって、終わっていきます。
それがいいとか悪いとかいった評価もしません。
ただそれだけ。
そしてあるとき、もっといい方法を聞いたり、こうした方がよさそうというのを思いついたりする時がきます。
すると、今まで当たり前のようにやっていたことのリズムが、ちょっと崩れるんですよね。
あれ?こうだったかな?どうしてこんな風にしてたのかな?なんて考えても、ついぞわからず。
当たり前だと思っていたから、疑問の余地もなく。よくよく考えたことがないのです。
凝りに凝っている状態って、そんな感じがします。
成長は違和感とともにやってくる
新しいことを始めたり、突発的な事件が起こったりして、習慣に変化をもたらすとき、不思議と違和感を感じます。
悩んだり迷ったりしながら、これでいいのかなとか、何か意味あるのかなとか、評価をしながら、恐る恐るやってみている状態。
筋肉が緩んでいる状態って、そんな感じですね。
違和感があるのは、凝りに凝った思い込みがないからであり、悩んだり迷ったり、評価したりしながらやっているということは、大きな柔軟性がある状態です。
こういう状態って、確かに居心地悪かったりしますが、柔軟性が高いので突然、ガラリと生活を変えることができちゃいます。
これまで当たり前だと思っていたものが、なんでそんなことをしていたのかわからなくなる。
私はそんなことを感じると、新しいステージに入ったのだと思います。
凝りに凝っているときは、痛くもなんともないので、ある意味楽なんですが、もう行き着くところまで行っているので、変化に乏しい。
筋肉が緩んで柔軟性が高いときは、どんな形にだって変わることができる。
私は、後者の時間を増やして行きたいし、「なんじゃこりゃー!?」とか思いながらも、新しいことに挑戦していくことを選びました。
人が成長するときって、そんなときだと、私は思うんですよね。
成長し続けることを大切にしよう
だから、何かひとつでいいので、「いつも当たり前にやっていること」を改めて、具体的に、よく見つめてみてください。
自分の「癖」なんていい題材でしょうね。
たぶん、不思議な違和感を感じると思いますよ。
どうしてこんなことやっているんだろう、とか。
もっとこうしたらどうなんだろう、とか。
違和感おめでとう!!
それが、成長開始の合図です。
世界はどんどん変化して行っているのに、自分だけ変わらないなんてなかなか難しいものです。
昔の価値観が役に立たなくなってきているのに、いつまでもしがみついていてもしんどいだけです。
だから、当たり前だと思うことに執着するのをやめて、どんどん新しいものを取り入れて行きましょう。
それが、より自由で豊かな人生を送っていくため大切なことだと、私は思っています。
あと、肩こりからは本当に開放されたいです (; ・`д・´) ←結構切実
おわりに
私たちの成長にとって、違和感を感じるというのは非常に貴重な感覚です。
最初は「なんでこうしてんだっけ?」「あれ?これってこれでいいんだっけ?」みたいな、小さな違和感で、「まあ、いいか」で終わっていくくらいなのですが・・・
だんだんそれが「なんかおかしい」とか「これじゃないな」とか思ったら、もうステージを変えてください。
新しいステージに入っているはずです。
「こっちのほうがいいんじゃない?」「こうしてみたらどうだろう?」と思ったことを、実際にやってみるときなんです。
「これおかしくね?」と思ったことをやめるときなんです。
私たちは、そうやって成長を重ねていくのです。