技術屋のジレンマ。使う側になるか、使われる側になるか

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例え技術力があっても、自分で使おうとしなかったら、誰かに使われることになります。

使う、使われるという立ち位置について、どちらがいいとか悪いとかは思いません。

ただ、選択の余地なく、使われる側に居続けているなら、別の生き方も考えてみたいと思ったんです。

ずっとコンピュータと成長してきた

私は小さい頃からコンピュータが好きでした。

一番最初にプログラムを打ったのは、保育園のころ、MSXという端末でBASICを打ちました。

当然ながら、英語なんて知らないし、頭の中でロジックを組むこともできない時期です。

それでも、本に書いているとおりに打ち込んだら、なんだか画面のものが動いているのが楽しくて、一本指打法で打っていました。

小学校、中学校、高校、大学と進むにつれて、コンピュータに対する技術力はどんどん上がっていきます。

どうやらコンピュータとは相性がよかったようで、大学時代、ホームページを作ろうと思ったらHTMLやCSS、サーバの知識はすぐに吸収できましたし、当時流行っていた掲示板やチャットを作りたいと思ったら、なんとなくPerlというプログラミング言語を理解するようになりました。

PHP、Java、Cといったプログラミング言語を覚えていくのは、本当に楽しかった。

どんどん新しい可能性を開いていっている感じがしたのです。

その延長で会社に就職して、システムエンジニアになり、コンピュータのシステムを作るのがお仕事になったのですが・・・

どうも面白くなかったのです。

そもそもどうして技術を身につけたか

私はゲームが好きです。

そもそもプログラミングをし始めたのは、ゲームが作れるからです。

自分が大好きなゲームを、自分が作れるなんて、すごいことじゃないですか。
そう思って、どんどんプログラミングを覚えて行きました。

将来はプログラマになると思っていました。

でも、いまだにゲームを自分で作ったことがありません。

ゲーム制作を試みたことはありました。

RPGが好きなので作りたかったのですが、絵は描けないしシナリオも書けない。

それじゃ、ゲームなんて作れないですよね (^^;

ただ、プログラミング言語やコンピュータの技術を身につけることは、私にとって相性が良かったようで、そういった技術力をどんどん高めて行きました。

いつか、何かはわからないけど、自分が作りたいと思うものを作るために。

技術には、価値をつけてもらえる

世の中、こういうものを作りたい、でも作る技術がない、という人はたくさんいます。

だったら、作る技術がある人に頼もうじゃないかと。

そして、技術力はあるんだけど、特にその技術を使って自分で作りたいものはない、という人もいます。

そんな両者が結びつくと、ビジネスになったりします。

これはプログラマだけじゃないですよね。

デザイナーで絵は描けるけど売り方を知らないとか、ライターで文書は書けるけど書く題材がないとか。

逆に絵が欲しいお客はいくらでも知っているけど絵が書けない人とか、書きたい題材はいっぱいあるけど、自分で細かいところまで書くのは興味がない人がいたりします。

そういった人たちが結びついて、仕事になっていきます。

使う側に立つか、使われる側に立つか

何が言いたいかというと、技術だけ持っていて、それを高めても、誰かに使われるだけ、ということです。

何かを創りだそうと考えている人に使われるだけです。

ゲームを作りたいけどプログラムを書くことしかできないなら、ゲーム会社に就職してプログラマになることです。

それでお給料はもらえます。

ただ、使われる側と、使う側では、報酬面では大きく違いますよね。

報酬面だけじゃないです。
自分が作りたいものを作れるというのは、そもそもとても快感です。

会社は、売上を上げるシステムを作って売上が上がればバンザイです。

作る側は、別に作りたくないものであっても、それを作ることで報酬をもらうことになります。

どうでもいいと思うものを、残業したり嫌な客と交渉したりしながら作っていくことが、私には苦痛でした。

誰かが欲しいものなんて、私が作りたいものじゃなかった。

自分が作りたいものを作る側になろうと思った瞬間から、起業することを考え始めました。

「創り出す」という位置に行こう

私は別にどちらがいいとか悪いとかは思っていません。

ただ、私は創り出せる側に行きたいな、と思いました。

私は何を創り出せるだろう。
それはわかりませんが、私は何かを創ることが好きなようです。

これまでは作る技術を身につける方が得意だったから、それをずっとやり続けたのですが、それは好きなことではなかったようです。

それが全く嫌いというわけではなくて、何かを創り出すという周辺にあるものだったので、うまくごまかしてこれただけ。

自分が創り出す側になるには、別のことに時間や労力を割く必要がある、と思いました。

例えば、もしまだゲームを作りたいなら、プログラミング言語を習得するのはもういいから、シナリオを書いたり絵を描いたりすることに注力する必要がある、ということです。

そのことを考えなければ、いつまで経っても現状は変わりません。誰かに使われるのみです。
誰かの欲しいものを作る技術を身につけて、買ってもらうだけです。

その位置にいるのは、もう辞めよう。

そのまま誰かに飼われて生きていくのはもうやめて、自分で自分を使えるようになろう。

そこに意識が向いて行きました。

違う価値観にシフトする

こうなってくると、今まで使ったことのない頭を使い始めます。

これまで自分がやってきたことが無価値ということは全くないですが、価値観がシフトしちゃっているので、何をやることに意味があるのか、よくわかりません。

ブログを書いたり、ブログを改造しようと試みたり、デザインしてみようとしたり。

そこにどんな意味や価値があるのか、さっぱりわからないのです。

例えば、Androidのアプリを作りたいなら、2週間くらいひたすらそのことだけをやったらそこそこのものを作れるようになるだろう、という予測が立ちます。

でも、ブログに対してどのくらいの時間や労力をかければいいか、どんなゴールを目指せばいいか、といったことについてはまるでわかりません。

だから今もあがいています。

自分なりに、辿り着きたいゴールを決めて、やってみて、クリアして、次のことを考えて、の繰り返しです。

そうして数ヶ月暮らしてみていると、決定的なことに気づきました。

自分の価値観で、世界に挑戦していくということ

気づいたのは、挑戦をしなくなっていたな、ということです。

大学を出て就職してお金を稼いで昇進して・・・というラインに乗っている会社員時代は、なんとなく何をしたらいいかわかっていたし、誰かが指示してくれました。

実際そのとおりにしていれば給料はもらえるし、多分、退職するまでは会社にいられたことでしょう。

挑戦らしい挑戦はしていましたが、今に比べれば結果のわかる挑戦でした。

今はそういうのがなくて、ひたすら手探りで日々を過ごしています。

お金にならないことをたくさんやっています。

何をやったら、暮らしていけるか。

何をやったら、好きな事を続けられるか。

会社員時代には持ち得なかった葛藤です。

どのように暮らしたら幸せに生きられるか。

会社にいるときは、この問いに対する答えを先延ばしにしていたなと、今では思います。

結論はない。挑戦し続けるのみ

ここまで記事を読んでいただいてありがとうございます。

この記事にはなんの結論も落とし所もないです。

私にはまだ結論が見えてないし、挑戦しているところだからです。

ただ、技術屋として、使われる側から、使う側にシフトしたことは実感しています。

ブログのサーバ移転するとか、アプリ開発してみたいな、とか。
自分の技術を使って、何かを創り出そうとして活動を始めていると感じています。

少なくとも会社員時代より充実しています。

自分が使う側にシフトしているからだと思います。

これから何を創り出していくか・・・これまで何年も考えてこなかったんだから、そんなにすぐに結論が出たり結果が出たりすることはないかもしれません。

だからこそ、ただただ、挑戦していくのみです。
世界に答えなんてないし、答えがあったとしても1つとは限らないのですから。

私は、より自由で豊かな人生を生きるために、考え、行動し続けています。

そういった活動を伝えることで、世間でモヤモヤしている人に何か違いを作り出せたらいいなと思って、ブログを書いています。

私が今感じていることが誰かに伝わって、何かを感じて、行動してもらえればいいなと思って、ひたすら書きだしてみています。

だから、少しでも違いが創り出せていると本望です。

一緒に挑戦、して行きましょう!

さあ、私は次は、何に挑戦しようかな!!(^-^)

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