「自分で体験することが大切」だっていうのはもう100回も200回も聞いたことがあると思います。
が、あえて言います。
やっぱり、自分で体験することって大切なんだって。
あふれる情報を貪る癖
私たちは、条件反射のように知識を取り込もうとします。
何か気になったら色々インターネットで調べてみたり、誰かに聞いてみたりして、知識を手に入れていきます。
お金持ちになる方法とか、文章の書き方とか、自転車の乗り方とか、スキーの滑り方とか、プログラムの書き方とか、食事の取り方とか、本当に大量の知識がすでにあって、どんどん調べれば調べるほど情報が入ってきます。
Amazonで、「歯磨き」というキーワードで本を探してみたら、103件ヒットしました。
もちろん、幼児向けの絵本は多いですが、それでも相当数あると思いませんか?
そこで考えてもらいたいのは、この100冊ほどの本を読まなければ歯磨きはできないのか?ということ。
たぶん、普通の成人だったら、「歯磨き」にものすごい入れ込みがあるマニアだったり、歯科医さんだったりするのを除けば、こんな本をあえて探して読まないですよね?
そんなことしないでも歯は磨けますし、実際に磨いていると思います。
そして、実際に歯を磨いてみないことには、虫歯は防げません。
磨くという行動を起こさなければ、仕入れた知識は全く役に立ちません。
まずはやってみること
野球でホームランを打つために必要な条件は何でしょう?
座席に立つことですよね。
素振りをすることも大事ですが、100万回素振りしたことがあっても、打席に立たないことにはホームランどころかヒットも打てない。
素振りもしたことがない人では、よっぽどの人でもなければホームランを打てるわけはないですから、確かに素振りをすることは必要なことなんですが、どうも素振りばっかりしている人がいる感じがします。
ホームランを打てるようになるまで打席には立たない、と言わんばかりに。
シングルヒットでも犠牲フライでも三振でもなんでもいいじゃないですか。
とにかく打席に立たないことには、何も始まりません。
情報は溢れ、錯綜している
今は、調べれば調べるほど、大量の情報が溢れています。
それこそ、ある行為を肯定する情報もあれば、否定する情報もあります。
こんな感じで。
結局のところ、健康的に生きていくために肉は食べたほうがいいのか、食べないほうがいいのか。もはや分かりません。
こうなると、知識を頼りに生きている人はお手上げです。
いくら知識があっても意味はないのです。
最終的には自分で考えて、選びとって、行動していく必要があるのです。
未体験を自分で体験すること
先日、初めて新潟市の方に行ってみましたが、あんな巨大な、私の拳ほどある「唐揚げ」を食べる文化があるなんて、私は行ってみるまで知りませんでした。
・新潟のソウルフード「唐揚げ」はビジュアルからして衝撃的!度肝を抜かれた!そしてうまかった!
初めて食べた巨大な「唐揚げ」はとても新鮮でした。美味しかったです。そしてそれ以上に、言葉に出来ない、なんとも言えない感動がありました。
こういうのって、実際に体験して初めて分かることなんですよね。
だからこそ「自分で体験することが大切」なんだと改めて感じました。
私が事前にガイドブックを調べまくって、新潟に行った気分になってたら、これほど感動しなかったでしょうね。
予め知識を仕入れておくことで、そういった感動は味わえなくなります。
ゲームで言えば、攻略本のとおりにプレイすることです。
攻略本に書かれているとおりにプレイして、攻略本に書かれているとおりの結果を得ることで、攻略本に書かれていることの正しさは証明できるわけなんですが・・・それが楽しいとは、私は思えません。
勝敗の分かっているスポーツが楽しいのだとすると、オリンピックの生放送なんて価値がないですよ。
結末の分かっている映画が楽しいのなら、映画のCMは真犯人から登場していることでしょう。
でも、そんなことは望んでないですよね。
何が起こるか分からないから、感動するんです!
ショックだったり、ビックリだったり、ほっこりしたり、ウルルっとくるんです。
私は、未体験のことを「自分で体験する」ことこそが、人生の醍醐味だと思います。
だから、何かやろうと思ってやれてないことがあるなら、ひとつずつでも、やれる範囲からでもやっていきましょう。
それをやったらどうなるかとか、どうやったらうまくいくかについて調べに調べている時間があったら、やった方が早いものです。
思い切って、踏み出してみること。
それこそが、自分の人生をハッピーにして、より自由で豊かな生活になることだと、私は信じています。